乃木坂46「僕の衝動」のMVを勝手に考察してみた!~「アイドルになった彼女達」と「サカノボル」はなし~
乃木坂46の19thシングル「いつかできるから今日できる」のtype-Dに収録されている「僕の衝動」のMVを独断と偏見と強引なこじつけで考察してみました。
乃木坂46「僕の衝動」
あさひなぐの主題歌として注目を集めた乃木坂46の19枚目シングル「いつかできるから今日できる」。そのtype-Dにカップリング曲として収録されているのがこの「僕の衝動」です。
伊藤理々杏が初センターを務め、3期生単独の楽曲としては「三番目の風」「思い出ファースト」「未来の答え」に次いで4作目となりました。これまでの3期生楽曲とは一味違い「カッコイイ」雰囲気の仕上がりになっています。
ツイッターの反応でも「カッコイイ」がダントツで多いようですね。楽曲、MVともに好評なようです。
そんな僕もMVに一目惚れしたクチでして、乃木坂46の歴代MVで一番好きといっても過言ではない(推し補正アリ)です。
「僕の衝動」のMV撮影地・ロケ地巡りの記事も書いているので、こちらの記事と一緒にご覧ください。
今回は、激ハマりしてリピートしまくった中で見つけた伏線を、独断と偏見と強引なこじつけでなんやかんやしてMV考察していこうと思います。
最後まで読んで頂ければ必ず「面白い」と思ってもらえると思います。長くなりますが、ぜひ最後までご覧ください。
MVのストーリーは?
「たくさんの時が流れ 科学技術が神話のように語られるようになった 遠い未来」の話。
「坂乙女」となり生贄として「御見立之儀」に参加することが決まった与田。伊藤・大園との仲が深まる中で生まれる葛藤。それらを振り払って役割を全うしようとする与田を見て、伊藤は全員で力を合わせることを決意する・・・
9月上旬に栃木県「ふるさとの村」で撮影されたこのMusic Videoは、とある村に残された伝統行事を開拓していこうと、若い女の子達が立ち上がるという内容になっています。
自然が豊富な場所だけあって、普段なかなか見つける事が難しいカエルやザリガニを見つけては戯れ、畑を耕すシーンでは、何度も撮影することで畑が耕され過ぎてしまい、場所を転々と移動して撮影するなど苦労した一面も・・・
ー 公式サイトより
乃木坂駅の廃墟が祠になっていたり、祠に祀ってあったものがスマフォであったことなどから「現代の科学技術」が失われた遠い未来を時代背景としたストーリーになっているようです。
なぜ科学技術がロストテクノロジーと化してしまったのかは依然として謎ですが・・・
では、さっそく本題のMV考察に入りたいと思います。
「アイドルになった彼女達」と「お見立て会」そして「サカノボル」
まず最初に今回の結論から・・・
このMVは「普通の女の子だった彼女達がアイドルになり、お見立て会を経て3期生12人で力を合わせて前に進んでいく様子を描いた」物語である。
こう結論付けた理由を、以下で詳しく説明していきます。
「坂乙女」と「アイドル」
まず初めに「坂乙女」と「アイドル」の関連について掘り下げていきたいと思います。
坂乙女に”なった”あの子
MVの冒頭で、巫女のような衣装を着た与田を呼ぶ伊藤に対して大園がこんなことを言っています。
大園『ダメだよ話しかけちゃ、あの子はもう「坂乙女」に”なった”んだから』
”なった”ということは「以前は坂乙女ではなかった」。大園の”あの子”という言い方、伊藤と与田が親しげであったことから「坂乙女になる前は知り合いであった」可能性が高いと考えられます。
もし「坂乙女=アイドル」だとすると、一般人の感覚として「アイドルになったから気軽に話しかけてはいけなくなった」というのも設定としては納得がいきますね。
坂乙女が着る衣装をつくる”衣装さん”
吉田『坂乙女が着るんだからちゃんとね!』
このセリフから、吉田・中村の2人が坂乙女が着る衣装を作っていることは明確ですが、これをアイドルに置き換えてみると2人の存在がまさにアイドルのステージ衣装をつくる”衣装さん”のようです。
坂乙女を叩けない理由とは
与田、伊藤、大園が仲良く古書を読んでいるときに先生に見つかってしまうシーン。このとき先生は隠れて2人と会っていた与田を叩こうと腕を振り上げますが、直前で叩くのをやめます。
これは「大切な商品(アイドル)に傷をつけてはいけない」という意識の表れからくるものなのではないでしょうか。
このファンタジックな世界観において、「先生」という呼び方には若干の違和感は感じますが、現実の世界でいう「ダンスの先生」「プロデューサー」という意味合いも含まれているのかもしれません。
(本記事でこの女性を「先生」としているのは、某雑誌のMV密着特集にて「先生」と記述している記事があったためです。)
坂乙女の踊りとアイドルのダンス
次に、”御見立之儀”で披露するために与田ら3人が練習している踊りと、伊藤が畑で踊っている踊りに注目してみます。
このとき伊藤が踊っていたのは「与田に見せてもらったアイドルのライブ映像で見たダンスを真似したもの」だと推測できます。実際に、伊藤が畑の中で踊るシーンで振り付けを思い出しながら踊っている描写や、ライブの映像を見ながら振り付けを真似する描写がありました。
「過去のアイドルのダンスを真似している伊藤」と「坂乙女として披露する踊りを練習している与田」が同じ踊りを踊っているということから、「アイドルと坂乙女の踊りは同じ」であると推測できます。
以上のように、”坂乙女”と”アイドル”には類似点が多く、よって「坂乙女=アイドル」であると言えるのはないでしょうか。
もんぺ姿は「普通の女の子」の証?
前項で「坂乙女=アイドル」としましたが、ではそれ以外のメンバーはどういった存在なのでしょうか。
坂乙女である与田ら「アイドル」に対して、畑仕事をしている他のメンバーは「アイドルに憧れている普通の女の子」であると考えられます。
畑を耕している場面や、もんぺ姿で顔に土汚れをつけている様子などは、煌びやかな芸能界とかけ離れた世界にいることの象徴として描かれているのかもしれません。
スマフォに映し出されるアイドルのライブ映像にワクワクしながら見入っているシーンや、伊藤・大園がダンスをしていく中で徐々に笑顔が溢れていく様子などから、彼女らが「アイドルに憧れを持つ存在」であることは間違いないでしょう。
与田も坂乙女になる前は、同じようにもんぺ姿で畑仕事をしていたのかもしれませんね。
「御見立之儀」と「お見立て会」
坂乙女となった者が行う「御見立之儀」。「お見立て」と聞いてピンと来る人も多いのではないでしょうか?
これは乃木坂46が実際に行った「お見立て会」を指したものであると考えてまず間違いないでしょう。
「お見立て会」とは、アイドルとしてデビューした彼女らが初めて行ったイベントで、各々の自己紹介、スポーツテスト、ミニライブ、握手会が行われました。
この「アイドルとして初めてファンの前で踊る"お見立て会"」と「坂乙女として初めて乃木神の前で踊る"御見立之儀"」。これらの関連は否定できるものではないでしょう。
また、″御見立之儀″に関して先生がこんなことを言っています。
先生『見立ての儀まであと少しです。神宮までは2人に送っていってもらいます。終わったら2人だけで戻ってきてください。』
このセリフから「御見立之儀を行う与田はこの場所に戻ってこれない」ことがわかります。
これは「アイドルとしてファンの前に立ち活動を始めると、もう普通の女の子には戻ることができない」ことを表しているのではないでしょうか。
「よもつくに」とは?
伊藤「"よもつくに"に行っちゃうの?」
乃木神さまの前で踊ることを伝えた与田に対して伊藤がこう問いかけました。
「よもつくに」とはなんなのか、詳しく掘り下げていきたいと思います。
日本神話における、死者の世界のこと。
古事記では「黄泉国(よみのくに、よもつくに)」とも呼ばれる。
- Wikipediaより
現世で死んでしまった人がたどり着く世界のことを「黄泉国(よもつくに)」と呼ぶようです。聞き慣れた言葉でいうと「黄泉(よみ)の国」ということですね。
諸説はありますが、この黄泉国と現世の間には「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と呼ばれる″坂″があると言われています。
以上のことを整理すると、
乃木神の前で踊る”御見立之儀”
御見立之儀を行うと”黄泉国”に行く
現世と黄泉国の間には”坂”がある
これらは「お見立て会でアイドルとしての第一歩を踏み出した彼女達が、一人前になるべく坂をのぼっていく」ことを表している。
乃木坂46の活動の中で、ごく頻繁に耳にする「坂をのぼっていく」という表現。どうしても無関係には思えません。
そして、その先にある″黄泉国″とは「アイドルとして坂を登った先にある到達点」を指しているのではないでしょうか。
これは余談なのですが、”黄泉”という言葉には漢語で「地下の泉」という意味があり、地下鉄である東京メトロ「乃木坂駅」が祠として使われたのにはこういった理由もあったのかもしれません。
「乃木神」の正体とは?
次に、「乃木神」について掘り下げていきたいと思います。
まず、与田らが読んでいた書物に描かれていた2枚の絵について注目してみます。
一枚目は「乃木神の前で坂乙女が踊っている」様子を描いたものですね。
この絵が、前述した「御見立之儀」を表しているとするならば、このあと坂乙女は”黄泉国”へ行ってしまう。”黄泉国”を本来の意味である「死者の行き着く場所」という側面で捉えると、坂乙女はこのあと「死んでしまう」ということになります。
古来の日本には”人身御供(ひとみごくう)”という神に対して人を生贄として差し出す風習が存在し、実際に行われていたという伝説も数多く残っています。
今回の「御見立之儀」についても「神の御前で儀式を行う」ことや「黄泉国に行ってしまう(死んでしまう)」ことなど、人身御供と相似する点も多い。また、この風習は主に災害や飢饉を避けるために行われてきたという背景があり、MV中でメンバーが決して豊作とは言えない畑を耕している場面があるのも「飢饉に陥っているが故に御見立之儀を行い坂乙女を人身御供として捧げている」ことへの伏線なのかもしれません。
実際に、乃木神のすぐそばには豊作の象徴ともいえる″太陽″が描かれています。
また、雑誌のインタビューやメンバーブログなどでも、与田ら3人を指して”生贄”という言葉を使っていますね。
では、次に2枚目の絵をみてみましょう。
1枚目の絵と比較して、最も明確な違いは″坂乙女″の人数が変わったこと。
そして、1枚目の顎に手を当ててあぐらをかいて座っている乃木神に対して、2枚目では身を乗り出して見入っている様子が伺えます。
さらに、乃木神のそばに描かれていた太陽も、大きく輝きを増してるのがわかります。
これを″人身御供″の側面で捉えると「生贄となる坂乙女の人数が増えれば、より人身御供の効果が大きくなる」ということがわかります。
伊藤が「みんなで一緒に踊ろう」と言った背景には「より人身御供の効果を高めるため」という意図があったのかもしれません。
また、これを″お見立て会″という側面で捉えると、2枚目の絵に「御見立之儀 参期生之舞」と書かれていることから「”御見立之儀”にはパートがある」と推測するとこができます。
そして、1枚目を「自己紹介などのソロパート」、2枚目を「3期生全員のライブパート」とすれば、太陽が会場の雰囲気、乃木神の様子が観客の盛り上がりの度合いを表していると捉えることができ、これらのことから「乃木神は”ファン”を表している」と推測することができます。
「ファンの前で踊ること」が「死ぬこと」を意味している・・・
なんとも皮肉めいていますね(笑)
御見立之儀の踊りは「神楽舞」か?
ここで、MVのとあるシーンに注目してみます。
佐藤、梅澤らの先導で与田が”御見立之儀”に向かうシーン。伊藤が与田の手を引いて走り去る場面ですね。
このシーンで佐藤らが持っているモノが少し気になったため調べたところ、「神楽鈴(かぐらすず)」と呼ばれる「神楽」を舞う際に用いられる神具であることがわかりました。
「神楽」とは、日本の神道の神事において神に奉納するために奏される歌舞。神社に「神楽殿」がある場合、そこで行われることが多い。
ー Wikipediaより
「神楽」の語源は一般に「神座(かみくら・かむくら)」であるとされています。神座とは「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」という意味で、神座に神を降ろし、巫女などが人々の汚れを祓ったり、神懸かりして人々と交流する神人一体の宴の場であることから「神楽」と呼ばれるようになりました。
そんな神楽にて、採り物として用いられるのが「神楽鈴」というわけです。
神話が記されている書物の中にも「神楽鈴」のようなものが描かれていますね。
ここで注目したいのが、「神楽殿」と「神人一体の宴の場」についてです。
「神楽殿」とは、その名の通り神楽を舞うための施設のことですが、舞楽専用の「舞殿」と区別することがあります。その理由は、舞楽”専用”の「舞殿」に対して「神楽殿」は、様々な用途の舞台、ライブ、コンサートの会場としても利用されることがあるためです。
”様々な用途の舞台やライブ会場”としても利用できる神楽殿は「お見立て会」でも利用することができそうですね・・・
そして「神人一体の宴の場」という言葉。ここでの詳しい説明は省きますが、これが今回の考察を結論に至らせるための重要なファクターかもしれません。
スマフォに映し出されるアイドルの姿
次に、祠に祀ってあったスマフォとそれに映し出されるアイドルについて掘り下げたいきたいと思います。
冒頭の「科学技術が神話のように語られるようになった」という説明から、与田らが読んでいた書物は神話を伝えるものであり、それは”科学技術が運用されていた時代”を描いたものであるということがわかります。このことから「科学技術が運用されていた時代にも”坂乙女”が”御見立之儀”を行っていた歴史がある」ということになります。
さらに、伊藤の「御見立之儀を行った坂乙女は黄泉国に行ってしまう」という認識も、語り継がれてきたこの神話を受けてのことでしょう。
そして、その時代の科学技術の一つであろうスマートフォンに映し出されるアイドル達の姿。
以上のことから、スマフォに映し出されるアイドルは「科学技術が運用されていた時代の”坂乙女”であり、”御見立之儀”のようなものを経験し”黄泉国”にいった」と考えることができます。
よって、スマフォから映し出される先輩たちは「”御見立之儀”に臨み”黄泉比良坂”を登った末、”黄泉国”にたどり着いた」存在である。つまり、前述してきたことを総合して当てはめると「”お見立て会”を経て”坂”を駆けのぼり、”人気アイドルとしての地位を確立”した」存在であると言い換えることができます。
そして、神を祀る場所である”祠”に祀られているスマフォが”過去と未来をつなぐ存在”として描かれていることを考慮すると、「乃木神は過去と未来をつなぐ存在である」と考えることができます。
では、結論です。
「サカノボル」はなしと皮肉めいた結論
MVの最後のシーン。”御見立之儀 参期生之舞”によって目覚めた乃木神の放つ光によって坂乙女はその場から消え、乃木神は宙へ消え去ります。
このシーンの描写や、先ほど少しだけ触れた神楽舞の「神人一体の宴の場」という言葉などから、”乃木神と坂乙女は一体になった”と考えられます。
さらに、前述したように乃木神が過去と未来をつなぐ存在であるとすれば、乃木神が宙に消え去ったのは”乃木神と一体となった坂乙女はタイムスリップした”ことを表している。そのタイムスリップ先が私たちの生きる現代であり、お見立て会を経験し乃木坂46というアイドルとして坂を登り始めた3期生の今につながるのではないでしょうか。
メンバーの姿が消えるとき一番初めに消え始めたのが”伊藤がかざした手”であったことから「アイドルとファンが手を取り合ってサカノボル」。
坂乙女は、現世(未来)から黄泉国(現代)にたどり着くために”坂のぼる(遡る)”のです。
これは「普通の女の子だった3期生がアイドルとしてデビュー、お見立て会を経てアイドルとしての活動を本格的にスタートさせる。そして、人気アイドルとなった先輩達に追いつくべく、ファンと一緒に坂を登っていく」様子を描いた物語。
遠い昔、イザナギが亡き人となったイザナミを追いかけて通った道が”黄泉比良坂”であったと言われています。しかし、その先にある黄泉国で待っていたのは醜く腐り果てた姿のイザナミでした。その姿に絶望したイザナギはイザナミが用意した数々の追っ手をかいくぐり、”黄泉比良坂”を岩で塞ぐことでイザナミから逃げきることとなりました。
そして、「黄泉」という言葉の語源の一つは「闇(やみ)」。
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これから坂を駆けのぼっていく3期生の未来、その坂をのぼりきった先に”芸能界の闇”という予想だにしない絶望が待っていないことを願うばかりです。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
文系とは程遠い人生を送ってきた私なりに頑張って文字に起こしてみましたが、読みづらい文章、誤字・脱字など見苦しい点は多々あったと思います。
ただ、無理矢理こじつけた割に結論としては綺麗にまとまったかなと自賛しています。
今後も撮影地・ロケ地巡りの記事を中心に、乃木坂46関連の記事を書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。